初めて流産を経験したその裏で、色々な事が起こり、学んだ事も多々ありました。
私が1度目の流産を経て会社を退職しようと決意した経緯についてのお話です。
流産直後に襲った身体の変化・疾患
前回の記事で、流産後に子宮筋腫が見つかったお話をさせて頂きましたが、子宮鏡でしっかり検査をした結果、
・筋腫はそこまで大きくはない事
・赤ちゃんが着床する部分からは離れている事
そして何より
・筋腫の半分が筋肉の中にうまってしまっている事
により、今は手術はせず、経過を観察して筋腫が大きくなってしまった時に手術をするという医師の判断となりました。
筋肉の中にうまってしまっている筋腫は切除ができないそうで、そうなると、いくら筋肉の中以外にある筋腫の部分だけを切除しても、また残った筋肉内の筋腫が大きく成長してきてしまうので、いつかまた手術をする事となるそうです。
手術によって子宮を傷付けてしまうリスクを思えば、今は温存がベストであろうという判断となりました。
手術をせずに済んだ、流産後にまた手術と聞いてショックを受けていた身としては大変有難い結果となりました。
ですが、実は流産後並行して、もう1つ疾患の疑いが出ていました。
胸に大きめのしこりが見つかり、乳癌なのでは?という疑いでした。
すぐにマンモ検査をしたのですが、結果はまさかのグレー。
「大丈夫そうだけど断定はできない」との事で、また後日エコーの予約をして帰るハメに。
流産をやっと乗り越えたのに、まさにWパンチという状況でした。(この時子宮筋腫もまだ手術が必要という段階でした)
嫌な事が続く時というのは、本当にとことん続くものですよね、女性は30代のほとんどを厄年として生きていきますが、本当に厄災だらけだと感じていました。
そして2週間程先のエコー検査の結果・・・結果は乳癌ではありませんでした・・・!
周囲でも、妊娠後にしこりが見つかった人は結構おり、妊娠時のホルモンバランスの変化で、どうしてもしこりができやすい人はできてしまうようです。
私の場合は、水泡?のようなものができやすい体質らしく、妊娠時の変化でできてしまったものだったようです。
現在しこりは触っても分からなくなってしまったので、一時的な変化だったのかもしれません。
流産を経て少しだけ強くなった精神面
私は今までどうにもならない程辛く悲しい経験というものをした事が無かったのかもしれません。
私自身、大病をした経験も無いですし、両親はどちらも割と大病をしましたが、どちらも回復し、元気に生きてくれています。
近しい人を事故や病気で亡くした経験も無いですし、震災で家を奪われた事もありません。
もしかすると、人生の中で初めて手を尽くしてもどうにもならない事を経験したのかもしれません。
32年生きてきて、それはとても幸運な事だったと思いましたし、だからこそ、乗り越え方というものも学んでいくべき時期が来たと感じました。
・流産とはなってしまったが、手術はせずに済んだこと
・もう32歳、けれどまだ32歳、妊娠の可能性はいくらでもあること
世の中には手を尽くして尽くして、それでも子どもを授かれない人がたくさんいます。
この時は私だってそうなるかも、一生子どもを授かれなかったらどうしようという不安もありましたが、まだ妊活もしていないのにお恥ずかしい話です。
・子宮筋腫も乳癌も、どちらも大丈夫だったこと
これも不幸中の幸いというやつでした。
流産は辛かったですが、こういった不幸中の幸い探しができるようになったのは、1つ成長の機会となったと思っています。
そしてもう1つ、成長の機会となった経験がありました。
流産となってしまった事を友人に報告した時の事です。
その友人は私の報告を受けて、
「そっか・・・妊娠できたんだ・・・羨ましい」
と返事を返してきたのです、正直衝撃を受けました。
その友人は何年か妊活をしているのですが、妊娠には至っていない状況でした。
流産したという事は、前提に妊娠できたという事実がある訳で、その友人からしたら喉から手が出る程羨ましい出来事だった訳です。
妊活で苦しんでいる女性の気持ちというものを、私は全然理解できていなかったんだなと痛感した出来事でした。
私自身、この先妊活生活を送る事となるのですが、同じ女性でも、やはり妊娠で苦労をしている、苦労をしていない、という両者ではなかなかお互いを思いやる事が難しいのだと痛感しましたし、どちらの経験もできない男性は、それこそ想像の仕様が無いだろうなと感じました。
妊活で苦労している女性の気持ちを多少なり感じられるようになる事も、辛い経験から得られる救いの1つかと思いました。
私が妊活のために会社を辞めた理由
今回私が流産を経験し痛感したのは、もう30代、子どもを授かるには1日だって早い方が良いという事。
今回私が体験した流産は、所謂胎児の染色体異常からくる初期流産にあたり、健康な妊婦さんでも必ず一定の割合で発生してしまう避けようのない不運ではありました。
割合で言えば全体の妊娠の15%程の確率で起こると言われているそうですが、この確率に当たってしまった妊婦さんの数は、私が想像していたより実はずっと多い事を今回知りました。
当時私が務めていた職場は支社だったので30人程という小さい規模ではあったのですが、その内既婚者が10名程、そして、その既婚者(男性であればその奥さん)全員になんと流産の経験があったのです。
これは「辛い経験をしているのは自分だけではない」と勇気付けられる事と同時に、「流産がめずらしい事では全くない」という事の現れでもあり、今後どうやって妊活と向き合っていくかという事をまじめに考えるきっかけとなりました。
初期流産は、年齢とともにその確率が上がっていくものとなります。
まだ30代前半でその確率に当たってしまうのであれば、
私は人よりすでに妊娠しずらい体質なのでは?
ただの初期流産なのではなく、どこか不妊の原因となる問題を抱えているのでは?
と、不安は尽きませんでした。
そして私の主人は夜勤と日勤の両方があり、大事な排卵時期に夜勤のターンに入ってしまっていると、その貴重な時期に顔を合わせる事さへできないという、何とも残念な状況にありました。
私が日勤の仕事をしていると、年に12回あるゴールデン期間が半分程になってしまう、それなら私が仕事を辞めて生活スタイルを合わせなくては、と思ったのです。
また、もう1つ大きな理由として、妊活は仕事との両立が大変
という事です。
私は元来、会社を絶対に休みたくない病の女です。病欠なんて絶対にしたくないし、有給使って旅行も論外でした。
まさに頭かっちかちです。
そんな病的な女が、今回の一連の経験で、1日会社を休み、何日か半休や中抜けを経験しました。
ものすごく、ものすごく嫌でしたし、女性は本当に社会で働いていくのが大変だと改めて痛感しました。
ワーキングマザーの方達が遅刻や早退をする姿を見て、大変そうだなと感じてはいましたが、当事者ではない分やはり完全に他人事でした。
不妊治療中の同僚も同じく、半休を取って検査に行ったり本当に大変そうでしたが、一体それがどれだけ大変か、真には分かっていませんでした。
女性が妊活、妊娠、出産、育児というライフイベントを乗り越えていく中で、一体どれだけ会社との両立が大変か、本気で考えるようにもなり、主人にも相談しました。
すると主人は、
「今しかできない事に集中した方が良い。お金はいつでも稼げるけど、子どもを授かれる時期が今しかないと思うのなら、今は子どもに集中した方が良い」
と言ってくれました。
産休・育休は絶対に取りたいと思って続けてきた仕事でしたが、主人の言葉に目が覚め、すぐに退職を決意しました。
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